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12月17日 病気や災難で知人を亡くしたとき
自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。
病気や災難は、どんなに気をつけていても避けられないことがあります。私たちのまわりにも、病気になって亡くなった人、事故死、災害で亡くなった人たちがいるはずです。
何の悪いことをしたわけでもなく、何の落度でもないのに、知人が若くして亡くなったという事実を受け入れるのはやさしいことではありません。ニュースを聞いて最初はショックを受けます。次には「そんなはずはない」と否定、否認をしようとします。あるいは、「たいしたケガではないだろう」と事実をなるべく小さく、衝撃を少なくしようとします。次に事実を認めざるをえなくなって、がっくりして気分が落ち込んでしまいます。涙が止まらなかったり、動きがとれなくなって、欝な気持ちになったり、引き込んでしまったりします。「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔の念にさいなまれることもあります。生き残った者が罪の意識を感じるのもめずらしくありません。次に「誰のせいだ」「どうして、誰か何とかして防がなかったのか」と、怒りが出てきます。
そして最終的に死を受け入れ、どんなに怒っても、その人は帰ってこないということを認め、心のやすらぎを求めます。このサイクルを何回も繰り返す人もいます。
このサイクルは、自分が不治の病気に直面したときの過程でもあります。この過程を知っていると、いろいろ出る感情はノーマルなものであることがわかり、気持ちが休まります。
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